※今回は少々恐いお話となります。苦手な方はご遠慮ください
娘が訪れたその場所は、多くの方が亡くなった場所でもありました。
娘はその場所で亡くなった方の感情に想いを馳せていたそうです。
しかし、その場所を離れた時途端、強い眠気と疲労に襲われ、
やっとのことで帰宅したとのことでした
翌日、娘は時間になっても起き上がることができず、飲食も全くできない状態に。
部屋の空間全体もゆがんでいる状態で、私の体内のアラームが鳴りっぱなしで
すぐに厄払いに行くこととしました。
体重は一気に約3㎏減り、一人で歩くこともできない状態でした。
娘を背負い車に乗せ、私も運転席に。
行き慣れた神社で、自宅から約30分あれば着く場所ですが
私は思考が全く回らず、ふわふわした感覚に不安を覚え、
カーナビと、もう一台ナビ機能を起動させ出発したのでした。
カーナビ通り車を走らせ2時間以上かけ
やっと到着したその場所は、廃神社でした。
寒気がし すぐにそこを離れ、
2台のカーナビを切り
自分たちがどこにいるのかも分からないまま
自分の勘を頼りに車を走らせ、約1時間かけてようやく目的地に着きました。
娘をおんぶし、鳥居をくぐったところで
娘は少しずつ足が前に出るようになり、
拝殿前に着くころには、何とか足を引きずりながらも自分で歩くことができ
お祓いを受けた後は、一人でゆっくり歩くことができたのでした。
今回のことで、彼女はどこにアクセスすればよいのかを体験を通して理解したのでした。
感情にアクセスすれば、感情に引っ張られることがあります。
俯瞰し、ありのままを捉えることで
どんな感情も情報として知ることができることで、引っ張られることはなくなるでしょう。
そして今回
私自身も共に体験した訳ですが、
私も、ただ巻き込まれただけなのかを言うと
そうとは言い難く、巻き込まれた私自身も
起こるべく事象の要因を自身の内側に持っていたと言えます。
自分だけでは、どうにもならないと感じたり
体調や身体の変化が見られる場合は、速やかに対処するという気持ちが大切です。