小学3年生の夏、子供会のイベントで花火大会が開かれました。
大人も子供も一緒になって楽しんでいたその夜、
花火の向こうにある山の中腹に、きらきらと光る物体が見えました。
最初は車のライトかと思いましたが、その光は山の上へと移動し、やがて山を越えて空に浮かび始めました。
しばらく上空に留まった後、移動し始めたと思った途端消えてしまったのです。
私は、その不思議な動きをする物体を指差し「見てみて!あれは何?」と私は近くの大人や友人に問いかけました。
しかし、周りの人たちは「あれはきっと車だよ」「ただの飛行機だよ」「ヘリコプターじゃないか」と取り合ってくれませんでした。
そう言われると、だんだん自信がなくなり「山の中腹からもヘリコプターは飛ぶこともあるんだ。」と自分を納得させたものの、楽しかったはずの夜は、なんとなくもやもやした気持ちで終わりました。
翌日、新聞には未確認飛行物体のニュースが載っていました。ニュースで取り上げられていた場所も同じ。
そこで前夜共に見た人たちに「あの光る物体はやっぱりUFOだったんだよ」というと、
「えっ!恐い。そんなわけないじゃん」「私たちが見たのは、ただの車だよ」「そうだよね。きっとあれは飛行機とかだよ」と頑なに認めない姿をみて、私はあの夜見た光はただの飛行機やヘリコプターではなかったと安堵したのと同時に「心は怖いな」と思ったのです。
人は自分の「常識」の範囲から外れたことを「気のせい」と片付けてしまいます。
人は非日常に出くわすと日常に戻ろうとします。
非日常は先が読めません、不安なのです。
だから日常に戻ろうとします。
その心理は人数が多くても同様で、多数の意識や態度に反映され
誰かが「常識という日常」の枠に戻そうとすると、我も我もと、その安全な思考の枠に入ろうとする心理が働くのです。
これが私の大衆意識の力を見た瞬間でもありました。
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