静かな共鳴

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小学5年生の頃、とても不思議な縁で繋がってる友人がいました。
彼女は複雑な家庭環境で大人びた雰囲気のある人。よくクラスメートの相談に乗っていたり頼もしい存在。

私とは普段一緒にいるわけでは無いけれど 話が合う友達だったので たまに下校を共にする時には短い時間の中、悩みごとや最近の心境などを語り合っていました。

そんなある日
彼女は「一緒に死んでくれるか」とポツリと言ったのです。

横にいた彼女を見ると、まっすぐに私を見ている。

この言葉は、死にたいのではなく 「生きていいんだよ」と、自分という存在がいることを認めて欲しいのだと受け止めた私は、ほぼ反射的に「うん。いいよ」という言葉を静かに発していました。

彼女のその言葉は、たくさんの行き詰った何か凝縮されたものが噴き出し現れたように感じ、その当時の私は、伝えたいことを言語化できなかったけれど、だからこそ一蹴できるようなものではないから、「いいよ」と言っていたのです。

当時の私も、死にたいのではなく
ただ彼女の深淵に寄り添いたかった。
引き上げようとするのではなく
その暗闇に一緒にいる人がいると感じて欲しかったのでした。

その後は2人とも無言で歩き続けました。
別れる時彼女は、一度私の手をぎゅっと掴み、そのまま家へと向かいました。

それ以降彼女はその言葉を発しなかったけれど、将来の夢を語ってくれたことがあります。

「幸せな結婚をしたい」

卒業以降 彼女と会うことはなかったけれど、知人から聞いた話では、彼女は幸せな家庭を築いてるらしい。
深淵に向き合い、そして明日に向き合った彼女なら、きっとそうだろうなと確信したお話です。

(子を持つ親になった現在は肝を冷やす出来事ではありますが。)

苦しい時、脱する方法に何が正解かなどはありません。

けれど、自分がいま苦しいのだと気付くこと。 

このことに気付ける勇気がとても大切なのです。

人はひとたび気付きが始まると、回復しようとエネルギーがその方向に動き始めます。

模索が始まります。 素晴らしい一歩です。

その模索する手がかりの一つとしてお勧めすることは、「言葉にする」こと。

出てくる言葉は秩序ないかも知れませんが、纏める必要もありません。
一見取り留めのない言葉は、あなたが回復へと向かう一片です。

一人で向き合うのもいいです。

けれどもし、誰かと共有したいけれど”友人知人以外で”と考えたときは
このような場所もあるのだと、頭の片隅に置いていてください。

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